今まで黙っていたんですが野良猫の一生が好きなんです

暮らし

私の名前はミ-シャである。いわゆる野良猫である。年は10才、色はキジトラのブラウンタビ-、性別はメスである。私の寝床は駐車場の裏にある物置小屋です。この場所は浜名湖の側の弁天島と言う所である静かで環境の良い住みやすいところである。湖や海まで5分程の距離であり大好物の魚は取り放題である。物置小屋は近所のお爺さんの持ち物で私が生まれたときから世話をしてくれている。小屋はしっかりしているので雨風は凌げる。水や餌はお爺さんからもらっているが、毎日ではないが減った頃補充してもらっている。お爺さんは餌の事を忘れてしまうことがあるので、2~3日もらえない事もある。そういう意味では正確には寝床つきの半野良猫である。その時は駐車場の白い車の女の人がたのみの綱である。私の家族を紹介しておく、旦那のグレ-は12才、子供は6ヶ月の2匹オスのボクと、メスのはなこです。こどもは最初は4匹いたが病気で2匹亡くなって今は2匹だけである。旦那はおとなしくて引っ込み思案、性格はやさしく、こども思い。子供はオスのボクちゃんはいたずら好きの1才、元気いっぱいの明るい子。メスのはなちゃんはおっとりしていて旦那ににておとなしい可愛い子である。私達の1日は朝6時に始まる。朝起きて最初にやることは、朝ごはんである。お爺さんが前日に入れておいてくれる時はそれを食べるが、無い時は駐車場に家族で出かけて行く。駐車場に止めてある白い車の人が出かける時間である。先ほど話した頼みの綱の、持ち主の女の人がやってくる。靴の音で誰だか分かる。「ギャー」と言うのはボクちゃん、女の人に朝の挨拶だ。子供が生まれる前は私がしおらしく「ニャ-」と言っていたが。こどもが生まれてからは、こどもの方が人気があるので、ボクちゃんの役目になった。しかし、声が生まれつきダミ声で「ギャ-」と鳴くのである。怒っている様に聞こえる。「昨日ももらってないじゃないか,ギャ-」と言うように、昨日はあげているのに濡れ衣だ。餌はいつも同じペットフ-ドだ、いい加減飽きてきたが、贅沢はいえない。駐車場の片隅に山盛りにしてくれる餌を、私と子供2匹でガツガツ食べる。旦那は駐車場んの片隅でそれを見ている。別の野良猫が来て横取りをして食べるのを見張っているのだ。親戚の猫とか知らない猫まで遠巻きにしてみている。残った餌を旦那が後で食べる。餌を食べた後は、小屋に戻ってのんびりする。主に子供との遊びの時間だ。旦那のグレ-の出番だ。グレ-は本当に子供の面倒見が良い。こどもが怪我をしない様に気を付けている。その頃、朝の日課の散歩から戻ったお爺さんが様子を見に小屋にやって来る、われわれが満腹の様子を見て水だけ追加だけしてくれる。食事をよそでもらっている事をうすうす気づいている様だ。夕方になった。PM5時、また駐車場に出かける。今度は夕食の時間だ。白い車の女の人が帰ってくる時間だ。「ボクちゃん、お出迎えに出なさい!」ボクちゃんが「ギャー」と言う。今日は珍しいものがあった。チュ-ルだ。私達は初めて食べた。こんな旨いものがあるとは知らなかった。子供は最初怖がっていたが私が食べているのをみて特にボクちゃんは飛びついて食べていた。ペットフ-ドにもチュ-ルをかけてもらって食べた。今日は久しぶりに満足した食事だった。猫にはチュ-ルである。」食事の後に雨が降って来たので、今日は散歩は止めにして早めに小屋に戻りくつろいだ。私達猫は雨が苦手である。毛が濡れるのを本当に嫌う。雨の日はじっとしているのに限る。そんな幸せな日々の営みを送っていたある日、こんな事件が起きた。駐車場には10台ぐらい駐車してあるのだが、そのうちの黒い車が急にバックしてきたときにあいにく駐車場に寝そべっていたメスのはなちゃんがひかれてしまったのだ。すぐに近所の人が動物病院までつれて行ってくれたのだが時すでに遅く内臓破裂で亡くなってしまった。私はそばにいたのだがなすすべもなく子供を死なせてしまった。何もして挙げられ無かった私は胸が張り裂けそうだった。可愛いはなちゃんごめんね。夫のグレ-の悲しみがりようといったら無かった。1週間ぐらい食事が喉を通らなかった程だ。私たちは抱き合って悲しんだ。どんな時でもいつも一緒にいたボクちゃんにも亡くなった事は分かる様で、小屋の片隅でじっとしていた日が何日も続いた。はなのいない物置小屋は火が消えたように寂しかった。そんな傷心の日々が1ヶ月程経った頃、私達家族にも変化があった。ボクちゃんが近所の家にもらわれて行ったのだ。もともと可愛げがあり人懐っこいボクちゃんだったが、近所の人がどうしても家で飼いたいと申し出てきて、お爺さんもボクちゃんの為には野良猫でいるよりそのほうが良いということで譲渡が決まった。私たちもこどもがいなくなるのは寂しいが、ボクちゃんの為にはそのほうが良いということで賛成した。私たちはその門出の日、出来る限りのご馳走でボクちゃんを送ってあげた。もちろん白い車の女の人にはチュールを多めに貰っておいたのは言うまでもない。譲渡先は物置小屋から2軒先のお宅だったのでボクちゃんとはたびたび会うことの出来る場所だったので寂しくはない。実際ボクちゃんの近況は手に取るように分かった。ボクちゃんの「ギャ-」は相変わらずである。子供がいなくなった私達にも朗報があった。新たに子供が出来たのである。また再び出来るとは思っていなかったものですから、夫のグレ-とは手を取りあって喜んだ。物置小屋のお爺さんも大層喜んでくれた「でかしたなミ-シャ」。夫のグレーは私を大切に扱ってくれた。順調に経過もよろしく、約2ヶ月後3匹の可愛い子猫が生まれた。「スプ-ン」「しゃもじ」「フォーク」とお爺さんが名づけた。台所用品から取った名前である。スプ-ンとフォ-クが男の子、しゃもじは女の子。一気に私の家族は増えて明るくなった。3ヶ月が経った頃、私は子供たちを連れて、駐車場に行った。白い車の女の人に子供たちを会わす為であった。女の人は「前の子供たちはどうしたの?、新しい赤ちゃんたちが来たのね?」と大層喜んでくれて、またチュールと餌をたくさんくれた。子供たちも喜んで食べた。今後の声かけ担当はどの子がやるのかな。子供たちにまた試練があった。今度はフォ-クがかもめにさらわれたのである。この辺は湖や海が近く、かもめも多く生存していて、子猫ぐらいの大きさの猫はさらわれることが良くあるのです。もちろん食用と思われる。かもめと言うと一見可愛い鳥の様に思われるが、ねずみとか猫とかの小動物には危険な鳥である。また家族は4匹になった。スプ-ンとしゃもじはさいわい元気一杯で、白い車の女の人にも積極的に自分から挨拶をしに行く様になって、女の人にも大変可愛がってもらっている。私の一生は湖の側の素敵な弁天島で物置小屋のお爺さんにもお世話になり。白い車の女の人にも可愛がってもらい。夫グレ-とも仲良くくらしていて、最初の子「はなこ」の不慮の死や他の子の病死などはあったものの、「ボクちゃん」は良い家にもらわれて幸せにくらしている。また新たに3匹の子が生まれ一匹はかもめにさらわれたものの、スプ-ンとしゃもじは元気にくらしていて、家族4匹幸せにくらしている。色々あったが、なんとか素敵で幸せな猫の一生は送っていると思う。

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